目次
概要
番号 | 19 |
名称 | 川越城 |
住所 | 〒350-0053 埼玉県川越市郭町2丁目2−13−1 |
城 | 【天守】 ・無し 【料金】 ・無料 【営業時間】 ・散策自由 |
スタンプ | 【場所】 ・川越城 本丸誤伝 【料金】 ・100円 【営業時間】 ・9:00~17:00 |
駐車場 | 【場所】 ・5館利用者駐車場 【料金】 ・無料 |
観光時間 | 30分 |
周辺地図
見どころ
江戸の背後を守る拠点城郭
川(河)越城は扇谷上杉氏の家宰太田道真・道灌父子が築城したことにはじまる。江戸入府後、この城を重視した徳川家康は譜代の家臣を入城させた。
大改修がおこなわれたのは松平信綱のときである。信綱は城域を拡大して近世城郭に変貌させるとともに、城下町を整備した。遺構は別記のように少ないが、城下町のたたずまいは今も残る。御殿近くの三芳野神社は、童歌『とおりゃんせ』発祥の地という。出典元:中城正尭,歴史群像編集部,株式会社学研プラス,日本100名城に行こう,22p
訪問記 2021/09/20
駐車場
川越城本丸御殿の隣に周辺施設(川越城、市立博物館・美術館、まつり会館、蔵造り資料館)利用者向けの無料駐車場があったのでそちらに停めました。
100名城スタンプ設置場所
100名城スタンプは本丸御殿の受付にあります。
- 時間・・・9:00~17:00
- 料金・・・100円
受付で押したい旨伝えると出してもらえました。
川越城図
昔は広大な城域だった川越城だが大半は失われ、今残すのは本丸御殿と数か所の遺構のみなのでそちらを見学していくことにしました。
なお本丸御殿と見学した遺構は少し離れてたので、バイクで移動しながら見学しました。
「中ノ門堀」→「富士見櫓跡」→「本丸御殿」の順番で周りバイクならすぐ周れましたが徒歩なら移動だけで10分~はかかると思います。
中ノ門堀
まずは中ノ門堀へ、道路を走って居ると左手にいきなり門があるので見落としそうになります。
城内に攻め込んだ敵を、中ノ門堀を含む3本の堀で阻む仕組み。
幅18m高さ7mの堀で構築当初の勾配が復元されている(平成21年復元整備工事)。
こんな深い堀が元々は3本交差であって間を通ろうとしたら弓鉄砲で攻撃されるとかえげつない。
富士見櫓跡
昔は三重三階または二重二階だった櫓があった場所で城中一番高い所にあったので天守代わりに使われた櫓跡。
今では木々に囲まれ眺望を望む事も出来ないが、昔は名前の通り富士山まで望む事ができたようです。
登ってみようと思いましたが、柵があり入れませんでした。
本丸御殿
5館利用者駐車場の真横に本丸御殿があります。
大唐破風屋根に間口三間の玄関が石高17万石を誇る大名の威容を感じさせる。
現在の御殿は1846年に二ノ丸御殿が火災で焼失してしまったので、当時空き地になっていた本丸に建てられたもので、出来上がった御殿は16棟の建物、1,025坪にも及ぶ広大なものだったようですが、明治になると多くの建物は移築/解体されました。
その後は県庁等として利用され、1967年には大規模な修理工事が実施され現在公開されている施設になりました。
時計回りにぐるっと一周見学する形でそこまで広くないので、10分~ぐらいで見て周れると思います。
廊下
庭
家老詰所
本丸御殿に勤務していた家老が詰めていた建物で、中を見学してみると人形が何やら再現している模様。
これは江戸時代後期日本近海に外国船が現れるようになったので、幕府から沿岸警備を命じられた川越藩の家老が図を広げて話をしている様子らしいです。
広間
36畳の広さで、来客が待機した部屋。
床の間?に置かれた武具なんですが、真ん中のふさふさしてるのは槍鞘で熊の毛約三十頭ほどの黒毛を植え付けたもので日本三名槍の一つ「御手杵」を収めた鞘らしい(槍本体は東京大空襲により焼失)近くで見てみると毛の密度が凄くて謎の見ごたえがありました。