カンボジア:アンコールワット1.5日とタイ:バンコク0.5日の全行程2泊4日の弾丸旅行に家族と2人で行ってきました
カンボジアとタイ両方以前に一週間以上の滞在経験があります2年ぶりの訪問になります。
今回は今日は丸一日アンコールワット観光を語っていきます。
目次
スケジュール
1日目 | 日本 | 関西国際空港 | 出国 |
↓ | |||
2日目 | タイ | バンコク | 市内観光 |
↓ | |||
カンボジア | シェムリップ | 入国/アンコールワット観光準備 | |
↓ | |||
3日目 | カンボジア | シェムリップ | アンコールワット観光 |
↓ | |||
4日目 | カンボジア | シェムリップ | 出国 |
↓ | |||
マレーシア | クアラルンプール | 乗り換え | |
↓ | |||
日本 | 関西国際空港 | 帰国 |
アンコールワットチケット購入
アンコールワットで朝日を見るためにAM5:00に出発します。
アンコールワットを観光する為にはアンコールワットチケットを購入しなければいけないのでまずは、チケット購入場所へ向かいます。
朝5:00なのにめちゃくちゃ人いてます。
全員アンコールワット遺跡から見る朝日目当てだと思われます。
アンコールワットチケットは3種類、購入窓口も分かれています。
- 1日券:37ドル
- 3日券:62ドル
- 7日券:72ドル
アンコールワット各遺跡エリアに入るときに提示を求められ、購入時に顔写真を取られ顔写真付きになるので、他人への譲渡などはできません。
アンコールワット
クメールの魂の拠りどころ、東南アジア最大級の石造り伽藍
アンコール・ワットとは、クメール語で「寺院からなる都」の意。インドシナ半島にアンコール朝が興ってから約300年後の12世紀前半、スールヴァルマン2世によって30年以上もの歳月をかけて建造された。総面積は200ha、東西1.5km、南北約1.3kmにも及び、アンコール遺跡群のなかでも最大級の寺院だ。
そのたたずまいに色濃く刻まれているのが、スールヤヴァルマン2世が信秦していたヒンドゥ教の宇宙観だ。参道から見える中央祠堂が意味するのは、古代インド思想において世界の中心であった須弥山。アンコール・ワットをぐるりと囲む周壁の外側に掘られた環壕は無限の大海を表し、その壮大な空間の中央に、神との交信場所である祠堂がある配置となっている。神聖な中央祠堂は、一部の人々しか入れず、王と彼が祀っていたヒンドゥ教の神ヴィシュヌとの合体の儀式などが行われていた。西塔門からまっすぐ延びる参道は、神々に近づくための道だった。
14世紀に入り、アンコール・ワットはタイのアユタヤー朝の侵攻により徐々に荒廃していった。1431年にはついに王都陥落、アンコール・ワットは破棄された。16世紀になると当時の為政者らによって新たな彫刻制作がおこなわれ、17世紀には仏教寺院として海外からも参拝者も受け入れるようになった。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,26p
実際はもっと暗いですカメラの性能が高くて明るく見えてます。
アンコールワットで朝日を見るために人がぞろぞろ歩いています。
手前の池にアンコールワットと朝日が写って綺麗らしいくNo1スポットであるアンコールワット前の西側の池前・・・人たち
アンコールワットで朝日を見るために、トゥクトゥクも観光バスもガンガン来てたし人が増えることはあっても減ることはありません。
アンコールワット遺跡で朝日を見るためにポジション取りするなら1時間以上前に来ないと無理そう
6:00頃なかなか朝日が出てこないので
ガスってて今日は見れない日なのかと思いアンコールワット遺跡内観光へ
アンコールワット遺跡内、朝なので全然人がいないので観光しやすいです。
だいたいアンコールワットに朝日を見に来た人は見た後は朝ごはんを食べるためにホテルに戻って再度来るのが8時~ぐらいになるのでそれぐらいの時間になったら人がいっぱいになります。
ちなみにこの時間帯は上記理由により中国人の団体観光客とかもいないので快適です。
アンコールワット中央祠堂へ、6:40から登れるようになる模様
100人事にしか入れなくて、この中に入るための服装規定は他より厳しくて
前に並んでいた女性がタンクトップを着ていて登ることを断られていたので服装注意しましょう。
アンコールワット中央祠堂に上った時6:40にちょうど朝日が見えました、ガスってて見えなかった分けではなかったんですね。
人が少なくて快適
ガイド付きで観光している人もちらほら
ガイドライセンスを持っている人みんな同じ服装をしているので正規ライセンスを持ったガイドかどうかは簡単に見分けられます。
アンコールワット遺跡では入り口付近でガイドを雇うこともできるので、詳しく知りたい人にはオススメ。
バイヨン
アンコール・トムの中核をなす独特の建築様式を持つ仏教寺院
スールヴァルマン2世がアンコール・ワットを完成させてから30年余り。アンコール朝は1177年、隣国チャンパ王国から襲来を受け、危機的状況に陥る。しかし、徹底抗戦を貫いて都を奪還し、クメール人たちを解放したのが、ジャヤヴァルマン7世だった。
1181年に即位したジャヤヴァルマン7世は新たな都城、アンコール・トムの造営を開始する。ジャヤヴァルマン7世は、それまでのヒンドゥ教を信秦していた王たちとは違った。仏教に傾倒していた王は、四面に観世音菩薩の顔を彫った像を祀り、バイヨン様式と呼ばれる独特の建築スタイルを生み出した。
この時代は、アンコール朝が最も栄華を極めた時期であり、アンコール・トムは都城として最大の規模を誇った。隣国からの再びの侵攻を避けるため、周囲12km、高さ8mものラテライトの城壁を築いた。内部は東西南北の4つの門からつながる十字の道で均等に区切られ、真ん中の心臓にあたる部分には、王の精神の礎となる寺院、バイヨンが建立された。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,42p
アンコールワットからバイヨンへ
この顔の遺跡で有名なバイヨン、バイヨン様式と呼ばれる独特な建築スタイルを生み出したらしい。
バプオーン
空中参道は地上と天界を結ぶ懸け橋
1060年頃、ウダヤディティヤヴァルマン2世が祖先の霊を弔うために建立。東塔門から延びる参道は長さ200mに及び、高さ1mほどの石柱で支えられていることから、「空中参道」と呼ばれている。寺院は5層の基壇を持つピラミッド型で、第二回廊に刻まれた細かいレリーフは必見。寺院西側には後世に仏教徒が造った巨大な寝釈迦仏の後がある。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,56p
一番上からの景色がいい
王宮後
華やかな宮廷世界に思いを馳せたい
高さ5mの壁に囲まれた、東西600m南北250mの敷地に、かつて歴代の王たちが暮らした王宮があったという。建物が木造だったため王宮そのものは残っておらず、現在見学できるのは跡地のみ。敷地内には、宮廷の人々が使っていた沐浴場の男池や女池、王族専用だったとされる寺院のビミアナカスが残っている。ラテライトの赤身と3層のピラミッド型が美しいビミアナカスをは「空中楼閣」という意味で、王族の儀式の場として用いられた。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,58p
バプオーンの裏側から森を通って王宮跡へ
象のテラス
象の彫刻で彫られた長大なテラス
王宮広場に面して南北に延々と続く全長約300mのテラス。勝利した軍がここで王と謁見するなど、さまざまな式典や祭祀を行う場として、ジャヤヴァルマン7世が建造した。その名のとおり、壁面には象のレリーフが刻まれ、階段の両脇にも象の装飾が見られる。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,57p
個人的に好きなスポット、王宮前にある象のレリーフが刻まれている、象のテラス
タ・ケウ
無骨な石組みが露出した未完の遺跡
アンコール・ワットの試金石とするべく、ジャヤヴァルマン5世が技術を結集して造営を開始。ところが石材を積み上げたところで王が死去したため、装飾が一切ない無骨な寺院のまま、その形を今に伝えることとなった。未完成ゆえの荒々しい印象と、外側に窓がないために感じられる閉鎖性が、ほかの遺跡とは一線を画す雰囲気を漂わせている。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,75p
写真に写っている人も腰を落としながら降りているように、遺跡内部の階段がめちゃくちゃ急で大変。
人が多く来るところは手すりつけられたり整備されるが少ないところはあまり整備されないのがこの辺の遺跡の特徴。
ツーリストポリスらしき人が乗っているバイクを発見!バイク乗りたくなる・・・
タ・プローム
巨大な根が遺跡を覆いつくす鬱蒼たる溶樹の姿に圧倒される
バイヨンを造成したジャヤヴァルマン7世が母を弔うために、即位後まず最初に手掛けたとされる大乗仏教の寺院。東西1000m、南北700mに及ぶ広大な敷地には僧侶や踊り子など合わせて1万人余りが暮らし、周辺の村々に住む約8万人が奉仕していた。この寺院をとりわけ有名たらしめているのは、現在も継続して遺跡を飲み込もうとしているかのような巨木の存在。スポアン(溶樹)と呼ばれるガジュマルの一種で、大きな根が蛇のように建物にからみついている。これは、発見当時のの遺跡の状態を維持するため、あえて樹木の除去を行わなかったことによるものでで、自然と遺跡が長年かかってつくり上げた空間には、独特の神秘性が感じられる。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,72p
映画「トゥームレイダー」の撮影スポットだったらしく、めちゃくちゃ人だかりができているツタスポット。
何年もたてばこのツタによって遺跡が崩れていく。
バンテアイ・クデイ
僧院をバイヨン様式の寺院に改修
10世紀に建てられたヒンドゥ僧院を、12世紀末にジャヤヴァルマン7世が大規模改修し、仏教寺院として再建。ラテライトの周囲に囲まれた東西700m、南北500mの境内には、四面仏が彫られた塔門、テラス、桜門、前柱殿、中央祠堂などが東西一直線上に並んでいる。伽藍の中心部には田の字形の回廊が配され、その各交点には9つの塔がそびえ立つ。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,71p
比較的小さな遺跡、浸食がすさまじい
スラスラン
砂岩のテラスを配した王の沐浴池
バンテアイ・クデイのほぼ正面にある、東西700m、南北300mの巨大な貯水池。もとは10世紀に建てられた僧院関連施設だったが、12世紀にジャヤヴァルマン7世が改修した。池の中央にかつて塔のが立っていた形跡があり、そこで王が瞑想していたと考えられる。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,69p
遺跡東側に位置する湖
ここでアンコールワット周辺遺跡の一般的に小回りコースと言われる観光は終了です。
所要時間は朝6:00から回って11:00ぐらいですかね。
昼からは町から70キロ1~2時間ほど離れた中距離に位置する遺跡「ベンメリア」に行くのでホテルに戻ります、ここから20分ほどでホテルです。
ベンメリア
ジャングルに覆われた神秘の迷宮
密林の中にひっそりと眠る巨大遺跡。東西900m、南北800mの敷地の外側に幅45mの環濠が配され、中心部は三重の回廊で囲まれている。アンコール・ワットよりやや小規模だが、配置、設計、祠堂構成などはアンコール・ワットと類似しており「東のアンコール」とも呼ばれている。遺跡の大半は崩壊が進み、石材の山に阻まれ立ち入れない場所も多い。
出典元:黒田茂夫,昭文社,アンコール・ワットカンボジア,84p
ベンメリアはトゥクトゥクで行くこともできるのですが、カンボジアの道は舗装がしっかりしてないこともあり砂埃もけっこうきつかったりで長距離乗るには疲れるので
現地オプションツアーを個別に予約できる「VELTRA」で日本語ガイド付き車で送ってくれるツアーを予約するのがオススメです。
ベンメリアは全体的に崩れている遺跡になりますが見どこが多い遺跡でもあります。
天空の城ラピュタの世界のようだとともいわれてるらしいです。
内部から木が突き破っている
内部はどこも浸食が進んでいます。
遺跡の保護の為に動きたいけど、お金が無くてここまでは手が回らないと聞きました。
年々徐々に崩れて見れるところも減っているらしい。
ツタをブランコに見立てたスポット
この日の観光はこのベンメリアで最後