目次
概要
番号 | 21 |
名称 | 江戸城 |
住所 | 〒100-8111 東京都千代田区千代田1−1 |
城 | 【天守】 ・無し 【料金】 ・無料 【営業時間】 ・9:00~17:00 |
スタンプ | 【場所】 ・和田倉休憩場 【料金】 ・無料 【営業時間】 ・9:00~17:00 |
駐車場 | 【場所】 ・大手町パークビルディング地下駐車場 【料金】 ・最初60分無料以降60分事に100円 |
観光時間 | 2時間 |
周辺地図
見どころ
将軍の城は日本最大の城
江戸城は総構を入れると千代田区がすっぽり収まるほど巨大な城である。櫓は右に記した櫓のほかに富士見多門櫓しかないが、門は桜田門など江戸時代のものが残っている。また、北の丸(北の丸公園)、本丸、二の丸、三の丸(皇居東御苑)は一部見学ができる。
出典元:中城正尭,歴史群像編集部,株式会社学研プラス,日本100名城に行こう,24p
訪問記 2021/09/20
駐車場
江戸城には駐車場は存在しないので、その周辺にあるビル地下の駐車場を利用する事になります。
江戸城の東側のビルの地下には丸の内パークインという駐車場が複数あり、私は江戸城に近い大手町パークビルの地下駐車場に停める事にしました。
最初の60分無料で以降60分事に100円で最大500円なので都心なのにかなり良心的な価格設定に思いました。
100名城スタンプ設置場所
江戸城の100名城スタンプは3ヵ所に設置されており、一番近かった和田倉休憩場で押すことにしました。
- 東・・・和田倉休憩場
- 南東・・・楠公休憩場
- 北・・・北の丸休憩場
私が行ったときはコロナ対策のため建物内には入れず入り口の所にスタンプが置かれてました。
全体MAP
江戸城はかなり広く、皇居の隣にある皇居東御苑内にある天守台を始めとした遺構や皇居外苑内にある楠木正成銅像や桜田門等が見どころになります。
私が見て周った順番は最初に和田倉休憩所で100名城スタンプを押してから、皇居外苑内の楠正成銅像を見て桜田門をくぐり堀沿いを歩きながら二重橋や桔梗門を眺めて(※二重橋や桔梗門からは城内で入れない)、大手門から皇居東御苑内に入り番所や富士見櫓や天守台を見て周り、北桔梗門から一度出て、平川門から再度城内に入り大手門から出ました。
全体的に見どころは全部見て周って約2時間ほどかかりました。
楠木正成銅像
スタンプを押した後はとりあえず楠木正成銅像を見に行きました。
皇居外苑の松群が立派で目を見張ります。
桜田門
大老井伊直弼が暗殺された桜田門外の変が起きた場所で、現在の門は1923年に関東大震災で破損したものが復元されたもの。
現在桜田門と呼ばれているが、正式には外桜田門といい本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対してそう付けられてるらしい。
右手の高麗門と左手の渡櫓門の二重構造からなり、西の丸防備のための門だった。
正門と二重橋
皇居の正門に当たる場所で手前の橋が「正門石橋」で奥の橋が「正門鉄橋」です。
正門鉄橋の奥(右側)には江戸城の櫓の一つ伏見櫓が見えます。
これらの橋は、天皇陛下が国会開会式などの外出される際や、外国の君主、大統領、大使来訪などの特別な場合のみ使用されるようですが、新年や天皇誕生日の一般参賀では一般人でもわたることができるそうです。
普段は正門は閉ざされバリケードあり、写真には写ってませんが隣に警察官が立哨しています。
というか江戸城は現在皇居なので、至る所に警察官がいました。
桔梗門
江戸城本丸南口の通用門で、本丸へ向かう際には、大手門と並ぶ登城の門でした。
こちらの門は封鎖されているので、ここから本丸へは入れません。
巽櫓
桔梗門から大手門へ歩いてると櫓が見えました。
内側は立ち入り禁止エリアで外側からしか見えない櫓なので説明板置いて欲しかったな。
大手門
江戸城の正門で多くの諸大名が登城した門。
警察官が荷物チェックをしていました、ここから皇居東御苑内になります。
同心番所
番所とは警備詰所のことで、現在「百人番所」「大番所」「同心番所」の3つが残っています。
百人番所
江戸本丸への道を厳重に守る設けられた警備詰所。
甲賀組、伊賀組、根来組、二十五騎組という4組の鉄砲百人組が昼夜交代で勤務しており、各組は20人の与力と100人の同心で構成されていました。
大番所
位の高い武士が勤務していた警備詰所で、1968年に復元されました。
富士見櫓
江戸城に現存する櫓は3つ「富士見櫓」「伏見櫓」「巽櫓」。
富士見櫓は1657年に焼失しましたが、再建され天守の代用としても使われ将軍が富士山や両国の花火、品川の海を眺めたといわれています。
天守台
徳川家康入城以来、江戸城の天守は慶長度天守(1607年)、元和度天守(1623年)、寛永度天守(1638年)と3度建てられ、最も大きかった寛永度天守は地上から高さ約58mあったようです。
現在の天守台は寛永度天守が明暦の大火(1657年)により焼失した後、天守再建を目指して万治元年(1659年)に築かれたものですが、天守は不要との結論が下され天守は建てられないままになりました。
天守に登って振り返ってみると、芝が広がった広場が見えますがその場所には昔、江戸本丸御殿の建物が立ち並んでいました。
平川門
御殿に勤めていた奥女中などの通用門として使用されていた場所で大手門と同様厳重な防御の構造になっています。